観光情報
高越城址(たかこしじょうし)
高越山城は北条早雲の出自と備中伊勢氏の盛衰を見、後に毛利氏による支配を伝える戦国の山城です。
備中における山陽道の要害地としては、猿掛山城(矢掛町)に次ぐ要害地です。
城は山陽道と小田川を足下に見下ろす高越山(172m)に築かれ東は山陽道を矢掛から猿掛山城辺りまで、南は毛利氏の軍港であった笠岡から矢掛方面に北上する人馬の行き来が山陽道に合流する地点を俯瞰することができます。
高越山城は山陽道を東上する軍勢だけでなく瀬戸内海を船で下り笠岡の港へ上陸した毛利勢が、備中・備前の境界地点に展開する上で重要な補給基地でした。
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案内図
早雲の里交流センター(9:00~17:00 年中無休)、荏原公民館(9:00~17:00 土日祝休館日)に案内図・資料を設置しています。 パンフレット【PDF】 -
北条早雲生誕の地
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城址の碑
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大型バス案内図
大型バスで高越城址にお越しの方はこちらの案内図をご覧ください。
大型バス案内図【PDF】
基本情報
所在地 | 岡山県井原市東江原町 |
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TEL | 0866-62-8850(問合せ先:井原市観光協会) |
入園料 | 無料 |
アクセス
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アクセス |
【車】山陽自動車道笠岡ICより北へ約30分 【電車】井原鉄道井原線早雲の里荏原駅下車、タクシーで約10分 |
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駐車場 | 普通車20台 |
定期イベント情報
北条早雲(ほうじょうそううん)
戦国時代には京都伊勢氏の一族の備中伊勢氏が荏原庄中心とする一帯を治め、この高越山城を居城にしていました。後に北条早雲と呼ばれる伊勢新九郎盛時は、この備中伊勢氏出身で、永享(えいきょう)4年(1432)父伊勢盛定の子としてこの地に生まれました。
新九郎は、幼少期から青年時代までこの城で過ごし、菩提寺の西江原の法泉寺(ほうせんじ)で武芸・学問を学んでいます。
その後、30代で京都伊勢氏の養子となり、京都に上り幕府に仕えました。
応仁の乱の後、妹(姉という説もあり)の嫁ぎ先の駿河国(現在の静岡県)の守護今川家に身を寄せました。
新九郎はこの今川家の家督争いを治め、56歳にして初めて駿河国の興国寺城の城主となりました。
その後、伊豆国(現在の伊豆半島)、相模国(現在の神奈川県)を治め、88歳で亡くなるまで、後北条氏5代100年の関東支配の基礎を作り、戦国大名の魁(さきがけ)となりました。